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元村岸由季子「人間の盾」サイトへ
マリカのイラク紀行より:

ラムジー・クラーク氏                            2003 5/31

当時イラクで使っていたメモ帳をなにげなく見ると、ラムジー・クラークというお名前がはっきり
書かれているではありませんか。
バスで隣に座っていたアメリカ人人道援助は、やはり、ラムジー・クラーク氏でした。
そのメモ帳は忘れたように戸棚に入っていたので、気がつきませんでした。
お名前とお電話番号が書かれていました。サイトでもラムジー氏の活躍はたくさんありました。 
「カルダメント:イラクのミントで黒いつぶ」なんていうメモもあり、そういえば、ラムジーさんが
、私にイラクのチューインガム(私はそう呼んでいました)を食べなさいと下さったのでした。
ラムジー・クラーク氏は、在日イラク人に言わせると、イラク援助の神様のような方
だということです。
日本の援助関係の方も、イラクの入国ビザが出してもらえない時に、ラムジー・
クラーク氏のメンバーの一人ということで、どうにかイラクに入国したようです。
当時、私は本当になにも知らずにいましたが、ラムジー・クラーク氏に、私を
バグダッドからアンマンまでの長い道中預けたのも、情報省のカマールさんの
精一杯のとりはからいなのだと、感じました。
私をひとりで帰したり、時の情報省の人が信頼のおけない人と相席させるのは
いけないと思ったのでしょうね。
そういえば、前の日から、私を誰の手に渡すかを手配していたようでした。
ありがとうございます。これ以上のエスコートはありえないでしょう。
だから、イラクとヨルダンの国境で、国境の係員が大変よくしてくださっていたのは、
みんな、ラムジー・クラーク氏のことをよくご存知だからなのだとわかりました。
アメリカ人でイラクへの人道援助を何年にもわたって行うというのは、
大変勇気のいることだと思います。
ところで、そのバスのトイレに、イラクからアンマンまで、ずっと閉じ込められたまま
あの狭くて汚い空間に十何時間立ったままで、アンマンに到着したかわいそうな
イラク人がいました。
なにか、トイレのドアが故障して開かなかったそうです。 
ともかく、今でもラムジー氏が戦後復興で大活躍をされていることをお祈りいたします。 

アメリカ人のイラク救援活動家 4/10

猫姫を含む公演参加者のみんなを先にイラクから出国させて、私一人に
なってしまったので、帰る時、情報省がこの人と私を同じバスに乗せて
アンマンまで行かせました。
後にこの人が世界的に有名な人道援助の権威だと聞いてびっくりしました。
なにせ私は、連日、遊び疲れて、寝不足で疲労困憊していました。
当時のバグダッドは、湾岸戦争直後といっても、爆撃やテロもなく、今よりずっと
安全ですから、あちこちのお友達のお家へ呼ばれたり、博物館、田舎、ショッピング、
オサマのお父さんの官庁まわりのペットをしたり、クールなレストランへ行ったり、
朝から晩まで、スケジュールがぎっしりでした。
朝起きると、オサマのおとうさんの黒いメルセデスが、パレスチナ・ホテルに迎えに
来て、また、その息子、オサマの弟が、湾岸の遊び人タイプで、楽しかったこと。
ともかく、私は、後ろ髪を引かれる思い出、楽しいバグダッドを出発して、
アンマンまで、ラムジー・クラーク氏の肩にもたれて眠り続けていました。
道中長いので、途中、ごはんに降りたに違いありませんが、眠ったまま
食べたのか、とんと記憶にございません。
アンマンで降りてから、ラムさんにタクシーを拾ってもらい、、住居表示のない街で
真夜中に道を聞きながら、羊の群れをかきわけて、アルラウィ家の新しいマンションに
到着するまで、ずっとついてきてもらってしまったのです。
もう、本当に、こんな手のかかる子供のお世話をしていただいて、私としたことが。
ラムさん、子守りして頂いて、ありがとうございました。

ラムジー氏(左)と国境でイラク人の役人と。
さすが、ラムジーさん、ファッションからして人道援助の神様です。
このとき、お茶を出していただいただき、濃いお茶を薄めるためのお水がコップで
一緒に出されるのですが、コップに入れたお水をピンクのスカートにこぼしてしまい、
写真でもほんの少しわかるのです。
この時来ていた伊太利屋のピンクのワンピースまだありますが、最初の頃は、
きちんと洗濯屋さんに出していたのですが、そのうち、もう、思い切り洗濯機で
洗ってすごい扱いをしていますが、よくもつと感心しています。

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