頭巾サイト管理人よりひとこと:
以下のサイトは、昨年12月に最終更新をしたものです。
当時と今では、状況が異なっています。
当時シロと思った人も、今はクロだったりして、まったく、ブルータス
お前もか式に信じていた人物がどんどんあちら側である事実が
解明していきます。
しかし、以下の内容をあえて直さずに、そのまま掲載しておくことに
しました。
その方が、当時、自分が思っていたことの記録を残せるからです。
一部の記載が現在の状況とまったく正反対になっていますが、
それはそれで、構わないと思います。
書いたその時点での真実、思っていたことなのですから。
今読むと、おめでたくて、笑ってしまいますが、まあ、それが、
一年前の認識だったのです。

平成16年10月22日 
頭巾逮捕当日


プロローグ目次  ラムジー・クラーク
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「アブナイ人道援助」は「イラク頭巾物語」

タイトルを変更しました。
プロローグ編 

ボランティア難民
「人間の盾」ツアー
 盾関係倉庫
ここから本編
頭巾サイト便利地図

  登場人物

16/12/28更新

サイト責任者:マリカ

最初、人間の盾ツアーを見て、変だなと思い、なにげなく
つくったアブナイ人道援助サイトでした。
ボランティア難民を創出していることも社会問題です。
しかし、湾岸戦争から行われてきたイラク人道援助自体が
大変な社会問題であることを、イラク人や、
元頭巾組の方からお教えいただき、サイトを
リニューアルいたしました。(管理人)
当分、募金はやめましょう
募金をした。ああ、いいことをした。
これで、かわいそうな人が助かるのだと単純に
思ってしまう心のきれいな方に申し上げたくて
このコーナーをつくりました。
以前、どなたかが、わずか50円で、気の毒な子供のための
ワクチンが買えます。
募金をすることで困っている人々が助かるのです。
というようなお便りを下さいました。(どこの頁か
わかりませんので、とりあえず、お便りサイトへリンク
しましたが、その方のお便り捜せません。
暇な方捜して下さい)
そうです、もし、その50円が本当に
かわいそうな子供の手に渡るのでしたら。

募金の90%は、経費で使われ、よければ10%は、
かわいそうな子供の手に渡るかもしません。

しかも、その10%も、間に入った人が儲かるような仕組みに
なっていますので、募金はしないことを
おすすめいたします。
他のやり方で、人の役に立てることを一緒に考えて
いきませんか。
イラクへの人道援助
湾岸戦争とこの間のイラク戦争の間に、一度解散した団体で「イラクの子供を救う会」
(Save Iraqi Children)が一番実質的な活躍をしていました。
それ以外にも個人的な援助活動はありましたが、一番大きいのはこの団体でした。
「イラクの子供を救う会」はコプト派キリスト教徒の久山先生を中心に、
日本人及び日本滞在の長い在日イラク人により構成された正真正銘の
きちんとした組織で、イラク大使館からも一目置かれ、日本とイラクの
交流史を語る時、必ず語られる団体です。

一度解散しましたが、現在でも、日本人とイラク人の有志が会合を持っています。
募金額
「イラクの子供を救う会」はイラク関係では日本で
一番大きな団体でしたので、募金額も多かった
ようです。みなさんの善意を集めて、1回に最低でも
300万、多いときで700万円(郵便局からの援助金も同時に
得ていました)分の物資を現地へ運びました

「イラクの子供がどうたらこうたら」みたいな似た名前の援助団体
(というか自分一人で団体だと名乗る)をつくって、寄付をつのれば、
誰でも、集金できる状況が揃っていたことが、数々の寄付金詐欺を
引き起こした原因だと思います。
援助終了
1998年にイラク政府より正式に、これ以上外国の援助を受けないので援助は
不要との声明が出るまで継続しました。
それは、石油を売った資金でイラク自体が自力で国を立て直してきたことの証拠
であると同時に、アラブの人は誇り高いので、人に施しをもらうということが
耐えられなかったようです。素晴らしい心意気です。
イラク政府が援助物資受け入れを停止したために、物資を届けられなくなり、
「イラクの子供を救う会」は余った援助金を、郵便局へ全額返金し
円満解散しました。
最終時期の援助金の出所は郵便局がほとんどになって、一般からの募金は
ほとんどない状態でした。
物資の輸送
「イラクの子供を救う会」のやっていた援助物資輸送は以下のとおりです。
アンマンで2トントラックを運転手ごと契約します。
駐車場にたくさんたむろしているダンプの運ちゃんに声をかけて、交渉、
人選、雇用をします。
イラク国内の各地をまわるのに何日かかかりますので、数日にわたる契約です。
ヨルダン国内の医薬品メーカーから粉ミルクと医薬品の箱を大量に
トラックに積み込みます。
これを、イラク国境で援助物資として申告するのです。
多く援助金が集まった時は、トラック1台では足りず
2台でイラクへ入国したこともありました。
ここまでは「イラクの子供を救う会」の活動説明です。
物資輸送のない援助活動
イラクの人々を助けるための援助金を日本で集めていながら、問屋から大きな
段ボール箱で大量の物資を購入、車輌及び人員調達、輸送、配布をしない
日本人もいました。
いわゆる「援助蓄財成金」です。
通常のタクシーで手荷物程度のものを持ってイラク入りです。
集めた援助金はなにに使われたのでしょう。生活費と蓄財です。
ビザの交付停止
イラクを餌に援助金を集めて実際に物資輸送をしていない自称人道活動家
に対してイラク政府は入国ビザの発行停止をしました。
1993年のことです。イラクを口実に不正蓄財をして
いる日本人を許せなかったのでしょう。
当然の結果だと思います。
管理人:あとで思うとあれは、とかげのしっぽ切り
だったと思います。イラク援助で最高の理論武装をした
才女の失脚は、頭巾に独占市場を提供しました)
ビザなし出発
日本のイラク大使館でビザを発行してもらえなかったにもかかわらず、
イラクへ入国する必要のある人道活動家(短髪)は、ヨルダンの
イラク大使館で「日本で取得し忘れた」と虚偽の発言をして、
ビザを入手し、無事、イラク入りを果たします。
それが、本国政府に発覚し、1998年か1999年の初頭に
再度イラク政府よりその人物へのビザ発行が拒否されます。
外国の援助団体に紛れて入国
日本でイラクの気の毒な人のためにといって募金活動をして、そこそこの
金額を集めている人にとっては、現地へ何度も行き、そのたびにたしかに
そこへ行ったのだという証拠写真を撮る必要がありましたので、イラク政府より
ビザが発給されないことは死活問題でした。
発給されないという事実を世間が知ってしまったら大変なスキャンダルになります。
募金をしている一般の善良な人々は怒るでしょう。
そこで、外国の援助団体(イラク人道援助の神様と呼ばれたラムジー・
クラーク氏
)に連絡を取り、ラムジー氏がイラクに入国する時にその中に
紛れて一緒に団体扱いで入国させてもらい、無事、現地で証拠写真が撮れて
一安心という「人道援助家」がいるのはコワイ事実です。
でも、そんなこととは知らないで、みんな募金してしまうのですよね。

拒否されても入国する理由
なぜそこまでして、イラクに入国しなくては
ならなかったのかといいますと、
想像するに、
1)すでに日本で募金を集めて
しまったため、この「募金」を現地へ持って、
現地の子供たちと一緒に証拠写真を撮って
こないと
ならなかった、また、
2)イラクの権化みないな
存在になってしまっている日本人がまさか
イラク大使館からビザが発給されない事態に
なっているという事実を隠す必要があった
ということでしょうか。
イラク・ビジネス
イラクを商材にしている人にとって、イラク政府から
ビザが発給されなくなることは一番の痛手です。
自分が入国できない理由を世間が知ったら
大変なスキャンダルです。
ことによったら、すでに支払った援助金を
返してくれという人も出るかもしれません。
ですから、アンマンのイラク大使館で嘘をつこうが、
外国の人道援助団体におまけでついて行こうが、
なんとしてでもイラクへ入国したという証拠が
必要だったのです。
理論武装をした頭脳明晰なX女史と、われらが
サイトの主人公、頭巾とのバトルが繰り広げられた
と考えていたほうがよいでしょう。

その結果、勝利したのは、頭巾です。
その後、X女史は、急速にイラク・ビジネスから
撤退し、頭巾の独占市場となります。
戦争でアメリカ(またはイスラエル)に破壊された
ところ、それはすべて、頭巾の市場となる
「約束の地」です。
イラク赤十字
1998年にイラク政府が正式に外国からの援助物資受け入れを停止したということは、
私を含め、一般人は知りませんでした。
しかし、イラクへの援助という名目で1998年以降も援助金を集めていた人は、
どんなことをしてでも、イラク側に援助物資を受け取らせなければなりませんでした。
それまでは、バクダッドだけではなく、どこどこの田舎の病院へ行くとよいでしょうとか、
具体的な指示をしてくれたにもかかわらず、イラク赤十字は公式にはどんなに少量の
援助物資も受け入れませんでした。

イラク人のプライドです。
この時期、イラク人道援助ビジネスに行き詰った
主人公にアメリカは最大のプレゼンとをしてくれました。アフガン戦争です。
ここも、戦場ビジネスの味を知った主人公に
とっては、格好のビジネス・チャンスでした。
道に落とす
日本で集めた援助金でわずかの薬を紙袋ひとつに
入れたある日本人人道援助家は、イラク赤十字の
ある建物の前の道にその紙袋を落としました。
そして、日本へ帰ってきて、自分はイラク赤十字へ
みなさんの善意を届けてまいりましたと報告しました。
しかし、赤十字は正式に受け取っていません。
紙袋ひとつを道に落としただけですから。
いったいどれだけの金額が使われたと思いますか。
袋一つ分なんて、1万円も使わないでいっぱいに
なります。
その袋が車にひかれたか、誰かが拾って帰ったか、
捨てられたかは知りません。
日本の献金者たち
日本の善意溢れる心のきれいな方々は、自分の気持ちが赤十字を経由して、
恵まれない子供たちの手元に届いたのだと確信していました。
赤十字という言葉に人間は弱いのです。
しかし、1998年以降赤十字はいかなる国からも援助物資を得ていなかった
ということを忘れてはいけません。
1998年以降に限らず、それ以前にしても、車輌の手配や製薬会社の倉庫での
荷積み作業報告などが一切ない場合は、援助金はどこかへ消えたと思った方が
よいでしょう。
方向を変えたイラク・ビジネス
これまで援助金集めだったイラク・ビジネスが、
パッケージ・ツアーに方向を変えたのは、援助が
集めにくくなった、赤十字が受け取らない、
大使館や在日イラク人の目が厳しく監視している
などが理由だと思われます。
ツアー企画なら、最低、シリアとかヨルダンの
ビザ取得料金や、バグダッドからシリアやヨルダン
までの出国費用くらいはツアー代金に含ませれば
文句もあんまり来なかったと思うのですが、
あまりになにも含まれていないツアーを企画すると
ビジネス根性見え見えでみっともないです。
でも、それに申し込んでしまう人が多いのですよね。
「政治的正義という煌々たる電灯が頭にともると、
(人間は)激烈に群れる。群れつつ群れ走る」
司馬遼太郎「人間の集団について」
反米をうまくビジネスに取り入れた成功例(?)だと
思います。

そしてその後のイラク・ビジネスは人間の盾、有機ヨードへと発展していく。
イラク頭巾物語
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